花と人、コントロールできないけれども共に生きる – A Whole Year per Hour / Flowers and People, Cannot be Controlled but Live Together – A Whole Year per Hour

teamLab, 2014, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi

花と人、コントロールできないけれども共に生きる – A Whole Year per Hour / Flowers and People, Cannot be Controlled but Live Together – A Whole Year per Hour

teamLab, 2014, Interactive Digital Installation, Endless, Sound: Hideaki Takahashi

空間には複数の季節が同時に存在し、それらがゆっくりと移り変わっていく。
花々は、移り変わっていく季節に合わせて、生まれる場所がゆっくりと移り変わっていく。

花々は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。 人々がじっとしていれば、その付近の花々は普段より多く生まれ、咲き渡る。人々が花にふれたり、踏むと、いっせいに散って死んでいく。

時に、他の作品の境界を越え、他の空間に咲きわたるが、他の作品の影響で散ったり、死滅したりする。

春、国東半島の里山に訪れた際、山の中の桜やふもとの菜の花を見ているうちに、どこまでが人が植えたものなのか、どこまでが自生している花々なのか疑問に思った。そこは多くの花に溢れ、非常に心地よい場所だった。そして、その自然が、人の営みの影響を受けた生態系であることを感じさせる。どこまでが自然で、どこからが人為的なのか、境界が極めてあいまいなのだ。つまり、自然と人間は対立した概念ではなく、心地良い自然とは、人の営みも含んだ生態系なのであろう。そして、近代とは違った、自然に対して、人間が把握したり、コントロールしたりできないという前提の自然のルールに寄り添った人の長い営みこそが、この心地良い自然をつくったのではないだろうか。その谷間の人里には、以前の自然と人との関係が、ほのかに残っているように感じられ、コントロールできないという前提の下での、自然への人為とはどのようなものなのか、模索したいと思う。