人間はカメラのように世界を見ていない / People Don’t See the World as through a Camera

teamLab, 2024

人間はカメラのように世界を見ていない / People Don’t See the World as through a Camera

teamLab, 2024

エントランス空間の指定の位置でカメラで見ると、「teamLab Borderless」の文字が空間に浮き上がり正体する。しかし、同じ場所で肉眼で直接見ても、文字は浮き上がらない。人間はレンズのように世界を見ていない。


世界は境界がなく連続しているにもかかわらず、認知上分断してしまうこと、特に、レンズで見ると、自分の身体がある世界と見ている世界が分断されることに興味がありました。

チームラボを設立した2001年頃から、レンズや透視図法は、空間の平面化の論理的な方法論の一つだと考え、レンズや透視図法とは違った、空間の平面化の論理を模索し始めました。人間はこの世界をどう認識しているか、認識と身体がどのように関わるのかを知りたかったのです。


レンズを通して世界を撮ると、

①表示される画面が境界となり、境界の向こう側にレンズで切り取った空間が出現します。身体のある世界と見ている世界の間に境界が生まれます。当然、映像の中の物体に触れることは認知上不可能です。

②そして、視点が固定され、無自覚に身体を失ってしまいます。

③本来、人間の視野は広く、視線とフォーカスは動き回りますが、レンズで撮った世界はフォーカスが1点で動かないため、視野が狭くなり、意志を失います。


レンズによる空間の平面化とは違って、

①画面が認知上の境界とならず、身体と切り取った世界が曖昧に連続し、人々が映像のどこにでも触れられ、

②視点が自由に移動できるため身体的知覚ができ、映像を自由に歩きながら見られ、人々がおのおのに映像のどこにでも近づくこともでき、

③フォーカスが無限にあることによって、視野が広がり意志を失わない。


そのような空間の平面化の論理を模索しはじめたのが、チームラボの初期の試みでした。その平面化の論理を構築し、平面化したものを「超主観空間」と名付けました。

2004-5年に制作した《花紅》は「超主観空間」による初期作品で、ここチームラボボーダレスでは、リメイクした《Walk, Walk, Walk: 探し、遠ざかり、また 出会う》として出現しています。

論理を構築することは私たちにとっては重要で、それにより、平面化する作品空間は時間を持ち、動的な変化を表現できるため、人々の存在によって動的に変化する絵画を描くことができるからです。


そして、作品世界が身体と連続し、人々の存在によって変化し、自分と一体となる身体的美術、そして、意志のある身体で歩きながら体験してく、無限に広がる身体的な空間芸術をつくろうと思ったのです。


これが、このチームラボボーダレスでも、ベースとなっています。