Last Days

teamLab, 2007, Music Video, 6min 25sec, Sound: Shinichi Osawa

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Last Days

teamLab, 2007, Music Video, 6min 25sec, Sound: Shinichi Osawa

水墨空間
西洋で発達した科学というものは、客観と合理性のみをその対象としてきた。主観的なもの、非合理的なもの、身体的なもの、好き嫌いの感情などは、科学からは長らく無視されてきた。それらは科学の取り扱うべきものではないとされたのである。その客観と合理性のみの追求の結果、西洋の文明は、他の文明を圧倒する成功を収めたが、21世紀初頭の現在、それは明らかな行き詰まりを迎えている。

私たちはこのように考える。行き詰まるのは当然である。なぜなら、実際に人間の生きている世界は、科学が無視した主観的なもの、身体的なものこそが、その9割程度を占めているからだ。それなのにその領域は、科学が無視してきたため、例えば芸術家やクリエイターの、個人的な霊感と努力のみに委ねられている。主観は、科学にとっては、未開拓の荒野として残されているのである。

主観は果たして科学の対象とならないのであろうか。そうではない、と私たちは考える。例えば日本画、その中でも例えば水墨画は、客観的世界とは大いに異なった、主観による極めて抽象的な表現だが、数々の優れた作品が存在し、多くの人が同じように感動する。感動に人を問わない共通性があるなら、そこには何らかの法則があるはずだ。法則があるなら、それは科学とテクノロジーによって、探究・再現が可能のはずだ。

こういう思考の元に、私たちは、水墨画の美を3DCGというテクノロジーで分析・再現することを試み、そしてこの作品という一つの結果を得た。

私たちは主張する。西洋の文明は行き詰まったが、科学そのものはまったく行き詰まっていない、主観という手つかずの沃野が、まさに目の前に広がっているのだ、と。つまりこの作品は「主観こそが現代科学の切り開くべきフロンティアだ」という、私たちの高らかなマニフェストなのである。

永らく続いた客観主義に基づいた世界の捉え方は、行き詰まりを感じている。ではどうやって世界を捉えればいいのか?客観主義による行き詰まりを乗り越えるヒントを、実は、我々の先代達は、持っていたのではないか?そう考えて、そこを模索してみようと思ったのが、このプロジェクトのはじまりである。

日本の先人達は、特有の美術表現で、3次元空間を2次元の平面に落としこんで来た。3次元空間を2次元に落とすということは、数学的に言えば、情報量を圧縮することである。西洋では、遠近法に代表されるように、客観的な法則で、空間を2次元で表現した。しかし、日本の先人達は、客観的な手法ではなく、極めて主観的な手法で、2次元平面に圧縮してきたように思えるのだ。その最も圧縮度合いが高いのが、墨絵であるように思っている。墨絵とは、そう、極めて、主観的な人間の力によって、究極まで、圧縮された空間なのである。

空間を主観的に圧縮したということは、そもそも人間は、世界を主観的に捉えていたことを、われわれの先代達は、知っていたのだろう。それが、いつのまにか、西洋の客観的世界観が、まるで全てのようになり、我々の世界は、頭で考える理性的客観的世界と体で感じる感情的主観的世界が分離し始めたのだ。過去に回帰しようと言うわけではない。全ての文明と科学の発展を肯定した上で、分裂した世界をもう一度、統合的なものにする、チャレンジなのである。

世界を人がどのように主観的に圧縮したのか、そもそも、そこまで圧縮された表現、大胆でかつシンプルな線で、そもそもなぜ、人々は、躍動感や、世界観を感じることができるのか、

そこに、一定の法則は、あるのか?

コンピューター上で作った仮想な3次元空間を、テクノロジーを使って、墨絵と感じるような美術表現を作るということは、その構造を知るヒントになるかもしれない。それは、従来の客観的視点に立って発展してきたテクノロジーへの新たなチャレンジである。