闇が手前にあり、光はその深淵に存在する。
実体と知覚は曖昧になり、物質的な境界は消失する。
永遠の時間の中で、海はゆるやかに満ち、また引いていく。
波を描く線の黒は闇、すなわち、光のない状態である。しかし、闇によって描かれた線は、そこに物質も光も存在しないにもかかわらず、光の煌めきよりも手前に現れ、流れ続ける。
存在を認識するとは、そこに物体や光があることではない。
存在は、まわりとの関係の中で生まれ、形づくられていく。
ここでの波は、「超主観空間」によって描かれているため、自由な身体を回復させる絵画空間となる。
一方、画面には絵画世界が描かれながらも、同時に強い煌めきがその世界を覆っている。その煌めきは、波の世界を描く光そのものが、画面の表面上で反射することによって生じる。
煌めきは、鑑賞者が動かなくても、時間とともに変化し続ける。そしてさらに、環境や鑑賞者の動く身体に呼応して、その姿は変化し、絵画世界の奥から輝く。その煌めきは、画面全体に現れながらも、きわめて個人的な光であり、鑑賞者自身の認識の中にのみ存在する。
この光の煌めきが生む空間は、平面絵画に描かれたイリュージョンとしての奥行きではない。それは、鑑賞者の身体の動きと、波の世界を描く光によって、その瞬間に立ち上がる空間である。
物理的な素材は銅のみである。煌めきの点群による絵画空間は、物理的な素材、時間、光、環境、鑑賞者の身体との関係の中で生成され、鑑賞者の認識の中に立ち上がる。その絵画空間は、画面上に現れながら、身体が存在する実空間と連続し、絵画空間の奥へ、身体的な光の空間として広がっていく。
超主観空間による身体的な絵画空間と、煌めく光による身体的な光の空間は重なり合う。そこでは、闇によって描かれた波、銅の表面、光の煌めき、環境、鑑賞者の身体と認識が関係し合い、身体のある空間と連続する、境界のない身体的な光の絵画世界が立ち上がる。